10月1日は、ミニマリズムに目覚めた記念日。
2014年10月1日。
忘れられない1日である。
体調を崩し、うつ病になり、睡眠時無呼吸症候群に、
果ては気管支喘息まで抱えてしまって、
今の会社を休職する羽目になってしまってから、
自宅で療養していた時に、出会ったのが、ミニマリズムであった。
これ以上動いたら死ぬかも?というところくらいまで落ち込んで、
いやが上にも、生き方を見つめ直した。
足りない物も多かったけれど、それ以上に過剰なものが多かったと気づいた。
物も、時間の使い方も、自身の体脂肪も、いろんなものを整えていった。
そして2018年の同日。
決して完成形ではないが、随分と暮らし向きも変わった。
収入は大きく減ってしまったけれど、心の余白は以前の比ではない。
もっともっとと思っていたかの日より、今の方が幸せを感じている。
会社における出世とか、何だかそういうものもどうでも良いというか、
他に得たいもの、優先度の高いものがあるといった方が良いのか?
限りある時間や原資をどこに集中させるか?は、何かを手放すことでもある。
それにしても大きく舵を切ったと言える。
世間で言えば、 10月1日は、「コーヒーの日」であるかもしれない。
もしくは、「天下一品の日」か?
(いずれもそれ程でもないか?(笑))
ワタシにとっては、紛れもなく、人生の記念日である。
http://www.101coffeeday.jp
物についてはひと段落し、佐々木典士氏同様に、習慣のようなものにも気が向いている。
(献本いただいたので、思い入れのある1冊である)
習慣をテーマにすると、どうしても”深い”ものになる。佐々木典士 著「ぼくたちは、習慣でできている」を読了。
もしくは、人生の指針というか、そういう方向にも心のベクトルは向いている。
”自分探し”なんてしなくても、自分と向き合って、「自分キーワード」ならぬ「自分フレーズ」を考えている。(途中)
来年の今頃は、どうなっているだろうか?