個の確立、そして社会との関わり
海外に多い外交的なミニマリスト
ミニマリスト生活を志向した頃に、
映画「365日のシンプルライフ」を観て
それからも何度か繰り返し、観た。
そして最近、この映画の後のストーリーという本を読んだ。
『365日のシンプルライフ』AFTER BOOK (AFTER THE CINEMA 映画の「その後」を語る本)
この本がまた、面白かった。
そう。
言われてみれば、この主人公って、モノを捨ててはいなくて。
てっきり断捨離したと思っていたけど。(笑)
あと、ミニマリストブームの火付け役である佐々木典士さんなど
いろんな方のインタビューも楽しめるけど目を引いたのが、次の指摘。
海外のミニマリストの方って、意識を「外」に向ける人が多くて。
そういえばThe Minimalistsも然りで。
例えば、クリーニングデイなる取り組みとか、社会課題や気候変動などなど。
海外では「個の確立」というのが自明なこともることも手伝ってか、
そうなることが多いそうで、なるほど!と思えた。
日本的な内向的ミニマリスト
翻って、日本のミニマリストの方々はどうか?
まあ四角大輔さんみたいなタイプもいるけど、
どちらかというと精神的な安定とでもいうかどこか禅的で、
あるいは、超合理主義の面が色濃いように思える。
日本の場合はお国柄のせいか、個というものがどこか茫洋としていて、
周りが固まることで、個が浮かび上がるというか。(汗)
ただでもこれは、良し悪しとかではなくて、「らしさ」というか。
かくいうワタシもミニマリズムを通じて、自身を見つめ直したものの
社会的な活動を行なっているかと言われると、それほどでもなく。(苦笑)
それでも近頃は、greenz peopleになったりもしているので。
少しは意識が向いているのかもしれない。
それにしても洋の東西での違いというか、
面白い視点ではあるなと思った次第。
そもそも生きることは、面倒なこと
あと、日本におけるミニマリスト的な動機として、
人に迷惑をかけることに怯えすぎているのでは?という指摘もあった。
終活でモノの断捨離とか、家族に迷惑をかけぬよう、みたいな。
それについて“人は、生きているだけで、迷惑をかける存在“という
そうか、そんな視点があるのか、と。(笑)
社会って、人に迷惑をかけ合って成り立っているところもあるので、ね。
まぁ、法を犯すのは論外として、一人では生きていけないので。
そもそも生きるって、面倒なもの。
ミニマリスト宣言をした2014年以前のワタシも、
何というか生きづらさを感じていたので。
「世間」という日本独特な強いプレッシャーのもと、
人と比べない生き方を志向してきた。
それは個を確立するというよりかは内向的なものであったように思う。
日本におけるミニマリストのブームも、そんな下地があったのでは?
他方、ミニマリスト生活から10年程度経った現在、
その“次“について考えることが多くなった気がしたけど、
何というか、開き直りとでも言おうか。
社会から隔てられたところで生きているわけでもなく、
そもそも生きることは面倒臭いことなのだと落とし込んでみると
ミニマリストと声に出すことが、そもそもこだわりなのかもと思えたり。
と同時に、世間との関わりも、まあ壁を作ったつもりではなかったけど
人と比べないということに、逆に縛られていたような気もする。
まぁ、もっとお気楽で良いのでは?と思い立ち、
ミニマリスト卒業宣言なんてのもやってみた。
というわけで、今はミニマリストの反動的なものもなく、
割とお気楽な生活を送れてはいるかな。
というわけで、当ブログも、ミニマリスト生活に“ついて“というよりかは
これまで辿ってきた“道の記録“的な方向にシフトしていくつもりである。
まぁ、「365日のシンプルライフ」の主人公のように、
過去を否定というか、手放すわけではないし、
それはそもそも無理なお話ではあるので、ね。
そういった意味でも、上述の本はお勧めできると思っているので良かったら是非。
『365日のシンプルライフ』AFTER BOOK (AFTER THE CINEMA 映画の「その後」を語る本)
