<ミニマリストリスト>持ちものリストの解説

ミニマリストとしてまず分かりやすいのが、持ち物のリスト
2014年10月1日。
ワタシがミニマリストを宣言した日である。
心身ともに、文字通りボロボロになって、大阪・堺の実家に戻ることになるのだが、
その前はというと仕事の都合で岩手県盛岡市にいた。
そこで持病の喘息は悪化するし、睡眠時無呼吸症候群もよろしくなく、
またもや仕事を休職することとなってしまった。
実はそれ以前にもうつ病となり仕事を休んでいたが、
ようやく復職し、新天地の盛岡で頑張ろうと思っていた矢先でもあった。
果たして盛岡の社宅で悶々としていた時に、グラハム・ヒルの動画を見て感銘を受け、
ミニマリストの道を歩もうと決意することになるのだが、その話はまた改めて。(笑)
ただ、盛岡から堺に戻るまでの間に、まあお引越しもあったわけだが、
可能な限り荷物は減らしていこうと、自身の持ち物と向き合うことを始めた。
恥ずかしい話であるが、その当時はというと、結構なゴミ屋敷に居た。
というわけで、引越しに際し、荷物をどうこうする前に、
分かりやすいゴミから手放すところから始めざるを得なかった。
何せ、盛岡の居宅を立ち去る日は決まっているし、それでいて体はボロボロだし。
そんなこんなで、要る要らないの分別も多少はしたものの、
それなりの荷物を持って、堺に戻ることにならざるを得なかったのである。
そして実家に戻るや否や、仕切り直して手持ちのモノと向き合うことにした。
分かりやすいゴミは盛岡に置いてきたものの、要不要の分別はまだだったので
思い切ってメスを入れるべく、悩んだら捨てるくらいの勢いで始めた。
そう。それこそ生まれ変わるくらいの気持ちで。
同時に、実家の方も終活よろしく、家具等の整理をするということになり、
それこそ軽トラックで何台ぶんになるだろうか、かなりの物を手放した。
例えば町会長さんは夜逃げでもするのかと、昼間に確認に来たりしたし、(笑)
エアコンの業者や、果ては裏の火事のことで消防士が家に入る機会があったが
これだけ物が空いていて、作業のしやすい家は初めてだと、驚いたくらいである。
そうなると、まずは勿論ワタシ自身の持ち物に限った話ではあるが、
一体、ワタシはどんなものを持っているのか?ということを把握したくなり
確かこの頃に、初めて持ち物のリストを作ったと記憶している。
そう。
ミニマリストになるのって、具体的な「モノ」から入る方が容易いので。
「ぼくたちに、もうモノは必要ない(goodby,things)」の作者である
佐々木典士さんの本を読んで、セミナーにも行ったのもこの頃のこと。
ただ、これはミニマリストあるあるでもあるのだが、ランナーズハイではないが
手放していくことに、どこか快感のようなものを覚え始めてしまって、
モノを手放し過ぎてしまうということが多々あるのである。
アンドリュー・ハイドという、必要最低限の“15個のモノ“しか所有しない
ミニマリストに憧れを覚えたこともあったりして。
他方、手放し過ぎたことで不便を感じるようにもなって、(当然というか必然)
買い替え、買い足し、買い直しも当たり前に行なっては来た。
繰り返し観るお気に入りの映画・「365日のシンプルライフ」の主人公も、
一日一つずつ倉庫に預けた荷物を取り出して行くなかで気づいていくのだが、
生きていくのに必要なモノがあって、次に生活を楽しむためのモノがある。
買う快感と手放す快感。実はとてもよく似ていることに気づく。
そして、必要なモノを「選ぶ」という段階にたどり着くのではと思う。
ワタシの持ち物リストは、勿論「完成品」などではない。
ここから減りもすれば、増えもするだろう。
ただ、かつてのように“数“にこだわることは、もう無い。
数字は分かりやすくて良いのだが、縛られるのは違うかと。
ある段階で、手持ちのものを安定させるべく、(収入が減ったこともあるが)
2025年は「モノを買わないチャレンジ」というのを行なった。
過去のブログを見ると、何度か挑戦しているようで小っ恥ずかしいが。(汗)
ただこの、安定している状態が、リストを作りやすいタイミングでもあると思い、
当ブログ再開とともに改めて整理し、公開に踏み切った次第である。
当ブログでは、個別のアイテムにも触れていく予定であるが、
まずは全体像のリストとしてまとめてみた。
恐らく、リストとしては参考にはならないと思うが、(笑)
個々のアイテムなら、うまくフィットすることもあるかもしれないので
引き続きお楽しみいただければ幸いである。