何者でもない、自分。そして、なりたい自分。
まだ何者でもない、40代。(しかも後半・・・)
こんな記事を目にして、思わず考えてしまった。。。
大学受験に一心不乱になって過ごして、
何とか志望校に滑り込んだ。
そして学生時代の終わりと、就職活動。
このまま定年までと思った時期もあったが、
結局それも出来なかった。
(まあ、これには後悔していないけど。)
右葉曲折を経て、現在の会社に転職した。
もうさすがにこのまま行くか?と思ったが、
寄る年波、体調不良に親の介護。。。
正社員でさえなくなったが、これまた特に後悔は(あまり)無い。
とはいえ。
今の自分が、こうありたい!と思った自分であるのか?
これについては、いまひとつ、満足しているわけではない。
なら、ワタシはどうありたいのか?
大きなテーマではあるが、もう50も近いのだから、
いい加減にしないと・・・という、「外圧」のようなものもある。^^;;
そんなことを考えながら、書を読み、友と会い、
様々な刺激を受けながら、考えついたこと。
それが、「全身表現舎・キワダチ」である。
中小企業診断士にして、全国通訳案内で、健康組織コンサルタント。
仕事だけは人生ではないということで、
こうしてブロガーとなり、ランナーを目指し、
実は他にも腹案があったりもする。(笑)
歳のことに触れてはみたが、一方で、人生100年とも言われる昨今。
(あくまで健康体でという前提付きであるが。)
まだ半分あるぞ!と、近頃は前向きでもある。
そして、2018年も間も無く終わろうとするこの時期に、
上記のことを成し遂げるには、言わずもがな、
来るべき年は、無為に過ごす時間的な余裕はないと、
焦りにも似た感情に見舞われているのか、
いつになくドキドキ感を覚えているワタシである。
そして、本日。
先の記事の続きが公開されていた。
同じすごろくを進む必要はない、ということ。
そう。
特段、一つの会社に定年まで勤め上げる人生が、
「なりたかった自分」ではあるまい、と。
”偏差値の高い学校に入って、良い会社に就職する。”
こんな価値観とは、とっくにおさらば出来ていると思っていたが、
まだ霊のごとく、まとわりついていたのか?
それとも、自身が捨てさることができないでいたのか?
そう、ようやく、である。
呪縛は取れたと思っている。
あとは、なりたい自分像を、自分で描きながら、間に合わせて行くだけ。
これまで、そして今現在の「持っているもの」を把握して、
足りないものがあれば足し、不要なものは引いて行く。
ミニマリストを志して、丸4年が経ち、
何というか、このための予行演習でもしていたのか?という気持ち。
不安もありながら、どこかでワクワクしている自分がいる。
そんな2018年の年の瀬である。