時間意識とともに、「間に合わせる力」が重要なのだと想う今日この頃です。
素早く。
静かに。
時間通りに。
努力すれば、報われる、なんてことはありませんね。
報われない努力も、結構たくさんありますので。
まぁ、努力の絶対量が足りないとも言われますし、
それを言ってしまうと、身も蓋もないのでしょうが、
「栄光なき天才たち」なんて本もありましたっけ。
報われることを求めていないという向きもあるでしょうが、
ワタシ的には、努力は報われて欲しいと思うわけです。
でもまぁ、そもそも、努力って何ぞや?とも思います。
努力なさいと言われても、どうやってやるのかは教えてもらってはいません。
そこで、えてして、かけた時間を指すのでは?と思ったりもします。
ただ、そうなりますと、時間は有限ですからね。
志半ばで此の世を去るなんて話も、残念ながらよく耳にするところです。
上記に書いた、”素早く、静かに、時間通りに”あたることが重要ではないでしょうか?
追われるようで辛い時もあるでしょうが、
そこはやはり、間に合わせないと。
無意味とまでは言いませんが、時間だけをかけるのも如何なものかと。
「自分の時間」も、名著でありました。
眠りにつくまさにその時、誰もが”まっさらな24時間”を有しているわけです。
どう使うかは、まさにその人次第。
無為に過ごしてしまうのもその人次第ですし、
ミニマリスト的には、集中できる時間を有意義に過ごすようにしたいものです。
眠りについたり、食事をしたり、あるいは仕事をしたりと、
全時間が思い通りに使えるわけでもありません。
(まぁ、自身で選んで、そうしてるんですけど。)
上述の時間も過不足なく、過ごしながらも、
やりたいことやなりたい自分になるために、
ターゲットに対し、そこに間に合わせるという力。
段取りや仕事術など、表現は色々ありますが、
間に合うか間に合わないかに、鯔のつまりは行き着くのではないか?
なんてことを、考えている今日この頃です。
何を始めるにも、今より早くは事を起こせず、ですしね。