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ミニマリストのジレンマ?

ヤマバヤシ タカシ

# Intro
よくよく振り返ってみると、近頃は”モノにまつわる投稿”が多くないか?と。
モノと向き合うことは、悪いことではない。
また、不要なものは買わないよう、精査することも然り。
ただ、一方で、頭の中が、モノで溢れているのでは?
逆に、モノにとらわれすぎてはいないか?と。

# ミニマリスト生活に終わりはない、ということ
そもそも、なぜこんなことを考えたのかというと、
ワタシも時々拝読していた、丸山さんのブログを久々に見たからで。

まあ、ミニマリストでいること自体が、悪いわけではない。
なぜなら、ミニマリストを標榜してから、5年程度が経って、
ワタシ的には、いわゆる「追われている感」が強かった頃の暮らしというか、
そのような暮らしっぷりから解放された今が、
心地よいのは、間違いない。

ただ、丸山さんが指摘されているように、
ミニマリストでござい!ということを発信すること自体に、
”追われてしまう”というのは、本末転倒であるように思う。

さて。
近頃のワタシはどうか?
持ち物のリストなどを作りながら、
ああでもない、こうでもないなんてやっていると、
なんというか、その所作自体が、ストレスとでもいうか、
重荷になっているようなところが、あるのかもしれない。

また、ミニマリストを名乗る方々のブログを見たりしていると、
「比較」のようなことをしているのであろうか、
焦りとかとはちょっと違う、ただ、なんだか冷静ではない、
そう、これを「追われている感じ」と表現しているのだが、
あれこれとまた、考えさせられてしまう、今日この頃であったりするのだ。

まだまだ、ワタシの軸が、定まっていないということなのかもしれない。

# Outro
早いもので、今年もひと月が経とうとしている。
のっけからこんなことでは、先が思いやられてしまう。
とはいえ、マンネリとは言わないが、
ミニマリスト生活も5年もすると、
ものの断捨離だけでネタになっていたステージは、もはや遠く。

http://haiparasan.com/?p=3233

そもそも、断捨離とは、

・「断」=入ってくる不要なモノを断つ
・「捨」=不要なモノを捨てる
・「離」=モノへの執着から離れる

ということでは、なかったか?
「離」のステージにあって、「離」がブレているのだろう。

ミニマリスト生活にあって、モノの個数が250個あたりで落ち着いている昨今、
足りていないのは、どうもこのあたりのようである。

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