「全身表現舎 キワダチ」への想いを語ろう
複数のブログを運営したいといった投稿を、以前行なった。
当ブログも新ステージに行きたいと考えて、複数のブログを運営できないかを思案中。
「組織にいながら自由に働く。」を読んで、そんな想いを抱いた。
今の仕事に、特段の不満があるわけでもないが、
このままで本当に良いのか?という思いは、常にある。
わずかではあっても安定収入を捨ててまで、独立したいか?と言われると、
年齢のこともあったりして(47歳)、躊躇するというのが偽らざる本音である。
そんな中、先の本は、大いに考えさせてくれる1冊となった。
やりたいことからの発想もあるとは思うが、
自分の得意なことは何か?から考えてみるのも良いだろう。
が。
では、ワタシは、何が得意なのか?^^;;
それを考え始めると、今までの経歴と向き合わざるを得なくなる。
といっても、大した経歴ではないのだが。。。
振り返れば、子供の頃は、受験戦争と言われた時代の只中にいた。
別段、疑問も抱かず、受験勉強ばかりしていた。
一郎の末、第一志望である、神戸大学経営学部に入学できた。
そこで、経営組織論や経営戦略論を学んだわけだが、
そもそもワタシは、経営学が勉強したかったのだろうか?と考えてしまった。
正直なところを言えば、消去法に近かった。^^;;
根っからの文系学生だったので、理数系は、からきしで、
文系の中でも、法学部でもなければ、文学部でもないかな?と。
なんだか残ったのが経営学部といったところであった。
実は一時期、大学の修士課程に進むことも考えたりした。
そう、経営学全般が、得意ではないが、好きではあるのかもしれない。
大学卒業後、企業に就職した。転職もしたが。
営業職、マーケティング職、総務部にお客様センターと、
これといった決めてもなく、何となく働いている感もなくはない。
しかもその間、病気による休職も挟んでおり、踏んだり蹴ったりなところもある。
こうして振り返っても、華々しい経歴など、実は何処にもない。
が。思ったのは、「過去は変えられない」ということと、
「過去は自身の蓄積である」という事実である。
大学の受験勉強から進学後の学習、卒業後の業務と考えてみると、
大学時に学んだことは、断続的で濃淡はあれど、
もっとも長らくお付き合いしているものではないか?と思った次第である。
そんな中、知人と食事をしている時に、中小企業診断士の話題になった。
ワタシ達が学生時代に学んだことと、資格試験が割と近接であることを知り、
チャレンジしてみようと思った次第である。
もう一つの柱である「通訳案内士」であるが、
これはわが町の自慢である百舌鳥古墳群が世界遺産登録を目指すにあたり、
世界の方に案内して、お世話になった故郷に”貢献”出来やしないかとの想いである。
何というか、これまでの足跡を振り返り、これから先に想いを馳せてみて、
カチッカチッとはまるというか、自身の中で繋がったかのような気持ちになった、
その集大成的なものが、”全身表現舎キワダチ”ということなのである。
当ブログのカテゴリにもある、「全身表現者」でありたいとの想いから、
建物を表す”舎”に置き換えて、全身表現舎としてみた。
キワダチは、”際立ち”に通じている。
際立ちとは。他との違いや区別が明瞭である。目立つ。主によいことの場合にいう。
そしてまた、時代や社会の変化に際し、”際に立つ”ということでもある。
「際」
あと少しで別のものになろうとするぎりぎりのところ。境目。また、物の端。「がけの際から見下ろす」「生え際」「波打ち際」
ある物にきわめて接近した所。すぐそば。「戸口の際に置く」「壁際」「山際」「窓際」
物事がそうなろうとするまさにそのとき。「今わの際」「入り際」「死に際」「往生際」
物事の窮まるところ。限界。際限。「世に悲しきことの―にはおぼえ侍りしを」〈源・柏木〉
身分。家柄。分際。
我ながら面白い気づきだったと思う。
「よし!これでいこう!」と思えたものでもある。
そう。
これからの未来に想いを馳せた時、一体どうなるのかは誰にもわからないが、
これからをどう生きるか?または自分がどうありたいかについては、
予測ではなく、あくまで意志であるのだから、思い切り描けば良いと思っている。
その時に、変えられない、蓄積してきたこれまでの足跡を踏まえてみるのが良いと思った。
過去を捨て去るという道もあるだろうが、ワタシは捨ててしまうほど、自分の過去が嫌ではない。
また、安定なども振り捨てて進むという道も、これまたアリだとは思うが、
組織にいながら出来ることもあるし、それが臆病だとは思わない。
(独立することが蛮勇であるとも、ワタシには思えないのである。)
正解は無いと言える。
ただ、重要なのは、自身で考え、決心するということだと思う。
朝起きてから、夜寝るまでの間、
こういうことをよく考えるようになった。
そして、そのことを、現実逃避などではなく、何ともワクワクする気持ちで考えているのだ。
テクノロジーの進化や時代の変化が、そのことを可能にしたとも考えており、
今の時代、そう悪いことばかりでは無いなと、そんな風に捉えているワタシがいる。
追記:
ブログのフォーメーションなども含め、再構成が必要かと思われ。
そういったことも、また投稿して行きたいところである。