大阪を地震が襲った!毎日の暮らしは殊の外パニックに弱かった。それでも思いやりが嬉しかった。
本日、いつもの通りに起きて、
ほぼルーティンになっている身支度を済ませる。
「月曜断食」をしているので、朝の準備はいつもより短縮。
身支度が済んだら、とっとと家を出て、
そして、電車の中では座っていたいので、
これまたいつもより早いけど、最寄駅発の電車に乗って天王寺まで。
天王寺で大阪環状線に乗り換えて、
大阪駅で降りるべく、一駅前の福島で席を立つのも、恒例。
福島でドアが閉まり、大阪に向かおうとする、まさにその時に!!!!
ガターン!!
・・・いや、怖かった。。。^^;;
何が何だか分からず。。。
ただ、駅から発射するまさに寸前だったので、直ちにドアが開かれ、
すぐに電車から、ホームに出ることが出来たのは不幸中の幸いだった。
震度6弱の地震と知ったのはしばらく経ってから。
会社や、それよりも実家のオカンが心配だったので電話をかけようとするも、
全くもって繋がらない。。。
ソフトバンクやからか?ドコモにしておけば良かったか?とも
頭を過ったけど、周りを見れば、まぁ似たような状態で。
まずはオカンの無事が確認できたので、一息はついた。
その後しばらくして、会社からショートメールが届き、
歩いて行くので時間がかかる旨を伝え、了解をもらった。
タクシーが拾えれば、とも思ったが、
考えることは、皆同じで、捕まえられるはずもなく。
国道2号線を徒歩にて移動し、途中、淀川大橋を越える時は、
車道のみならず、歩道も混んでいた。^^;;
トレーニングと称し、何度か歩いて堺まで帰ったこともあってか、
ナビ要らずで歩けたが、周りは軽く、パニクっているご様子。
途中、小雨もパラつく中、1時間程度かけて、ようやく出勤するも、
まぁ、これまた当然だが、ほとんどの人が出社できていないという。^^;;
お昼時になっても、ガスが止まっていたこともあって、
社員食堂はほとんど機能していなかったが、
それでも、ご飯とふりかけくらいは提供できるということで、
社員食堂に向かう人も多かった。
ワタシは、繰り返すが、本日は「月曜断食」だったので、スルー。^^;;
ただまぁ、取扱商品の中に、災害用のカレーとかを扱っているのなら、
こういう時に出してやれよ!とも思ったが、それとこれとは別なのか?^^;;
当然仕事にはならず、ある程度電車が動き出すのを待って、今日は解散となった。
その間も、ネットは繋がったものの、電話の復旧は、相当に遅かった。
帰りも電車は動いておらず、とりあえず一駅歩いて大阪まで出てから、
動き始めた地下鉄と、南海電車を乗り継いで、堺東まで到達した。
堺東駅からも、バスは割と混んでいたが、まぁどうにか無事に帰宅出来た。
ワタシは、あの阪神淡路大震災は、実は経験していないので、
かの教訓は、どこに生きているのかは知る由も無いものの、
電話が繋がりにくくなるあたり、それと出社したは良いけど、仕事にならず、
それならもっと、別の判断があったのでは?とも思えて、
備えているつもりでも、いざ直面すると、やっぱり脆いとこ、あるなぁと、
なんだかそんなことを感じ入った1日だった。
何しろ我が国は地震大国なので、
有事における備えは、もっとしっかりしておかないといけないのでは?と感じた。
まぁ、個人としてできることも、やっぱりやっておかないと、ね。
オカンとの連絡については、再考せんといかんかな?と。
また、備蓄品についても、果たして取り出しやすい所にあるかと言われると、
ちょっとお粗末のような気もしているので、帰宅後、すぐに見直した。
リマインドという点では、やはり教訓は活かしていかないと、あきません。
それはともかく、まだこの数日間は、備えが必要とのことなので、
何も無いのが一番とはいえ、キッチリ準備はしておかないと。
そして、今回の一件で、多くの寄せられたコメントが、なんとも嬉しいと思えた。
例えば、元阪神の助っ人・マートンがコメントを寄せてくれたし、
(ロサリオがも一つなんで、帰ってきてくれ〜)
台湾総統も、日本語でコメントを寄せてくれている。
実にありがたいことであるなぁと、嬉しかった。
もし、別のところで発生していたら、ワタシは何が出来るだろう?
そんなことも、帰りのバスに揺られて、考えていた。
余談からの、閑話休題。