結局のところ、持ちモノを減らすことは、持ちモノを把握するということか。
断捨離について、振り返ってみました。
ミニマリストの方の中には、持ち物がいくつありますとか、
いくつ手放しましたという、いわゆる数字のお話をされる方がいます。
まぁ、数字というのは雄弁というか、分かりやすいですからね。
(だから怖いとも言えますが。)
かくいうワタシも、持ち物のリストを公開しています。
関連ブログ:
ミニマリスト・ハイパラの持ちものリストです。
個数もさることながら、そもそもどういうものを持っているのかな?と。
それを把握するためのものだと思います。
所在地まで含めて、ですね。
例えば買い物をするときは、今の持ち物で何とかできないか?とか、
これがあれば、これは要らないかも?といったことが分かるように。
また、何処にあるかを知っておけば、探し物に要する時間を削減できますし、
そもそもこれは持っていないよねと、即座にわかることが大事なんですよね。
無駄に探さないというか。^^;;
あるとき、一生のうちに、探し物にかかる時間が半年くらいと聞いたことがあります。
半年じゃなかったかもしれませんが、(笑)
それなりの日数だったように記憶しています。
それってどうなん?って思って、印象に残っているんですね。
人によっては、たっぷりモノを持っていても、全部分かってますよって人もいるでしょう。
そんな方は、無理やり減らさなくてもいいかもしれません。
ただ、ワタシには、少なくとも無理です。^^;;
断捨離を行う過程で、こんなの持っていたっけ?と思ったことや、
引越しのたびに連れて回っていた謎の箱とかが、結構ありました。
(謎の箱の中身は、さらにもっと謎でした。(笑))
そういう取り組みを行うことで、掃除が楽になったり、
あるいは買い物が楽になったりしていますが、それはあくまで結果でしかないです。
それによる快適さや軽快さ、あと、モノを慈しむようになった心持ちなど、
なくすことによって得られたメリットは、想像を超えたものでした。
ミニマリストというのは、果たして目指すものなのか?というと、
実は、ワタシの中で、まだ答えが無かったりします。
ただまぁ、あくまで方法論なんでしょうか?
ただ一つ言えるのは、人生を軽やかに生きていくことは、
ワタシにとってはこの上もなく幸せなことではあります。
2014年10月の、ミニマリストという考えに触れたことで、
当時、病みまくっていたワタシは、少なからず救われています。
そう、あの頃からすれば、今は本当に充実しています。
地域限定社員になり、収入は減りまくりですが、
財政再建にも取り組むことで、月末にはお金が(ちょっと)残りますし、
投資信託まで行っているので、暮らしのお金は相当減らせていると思います。
金が全てではありませんが、これはこれで悪くはない状況ですね。
ここ数回にわたり、自身の断捨離を振り返ってみましたが、
あの日から現在までの歩みは、間違ったものではないのかな?と思えますね。
とは言え、完成したわけでもなく、人生100年時代ですからね。
年配のミニマリストである(と思われる)ワタシも、まだようやく折り返し地点です。
(47歳ですので、折り返し目前ですが。)
過去に戻ることができるなら、もっと遡って、かの日のワタシに教えてあげたいとは・・・・
思いませんね。(笑)痛い目も見ましたが、良い勉強やったんでしょう。